15歳で自殺する子供の育て方

私の育った家庭を反面教師にしてほしい。

マンガより価値が低い親は、小学生に殺意を覚えられる:子供の自殺を止めるには(7)

 私は小学生の時に、凄まじい殺意を覚えたことがある。殺したいと思ったのは自分の父親であった。

 理由は覚えていないが、私が父の怒りに触れ、私を制裁するために、父はマンガの単行本を捨てようとしたのだ。

 それは私が夢中になっていた作品だったのだが、父は十何冊あるマンガ本を、ビニールひもで十字にしばって玄関の物置に入れた。

 これは新聞や本を廃品回収に出すときの作法だ。「言うこと聞かないとマンガを捨てるぞ」という脅しではなく、もうこのマンガは捨てられることが決定していると私は思った。

 すると、どうだ。目の前の父親が憎くて、憎くて仕方がない。

 父は、「こんなマンガなんかいらんわ!」と言っていたが、いらないのはマンガじゃなくてお前だ!と私は思っていた。

 言葉には出さなかったが、あの時ほど人を殺したいと思ったことはなかった。

 結局、その時は母が後から、物置からマンガを出してきてくれたので、事なきを得たのだが、父という存在よりも大事なマンガが捨てられていたら、私は何をしていたのか分からない。

 なぜなら、そのマンガは「私を受け入れてくれる存在」だったからだ。

 自分の存在意義であり、その世界観に浸っていれば幸せになれた。それ以外の幸せを私は知らないのだ。それだけがあればいいのに、それを奪おうとする「私を受け入れてくれない父親」。どちらが大切かは言うまでもない。

 叱ることが正しく機能するのは、信頼関係がきちんと構築されている場合だけだ。親に受け入れられていないと感じている子供を叱る時は気を付けたほうがいい。どうしたら人間は死ぬのか小学生はもう知っているのだから。

 マンガに没頭しすぎる子供に育ってしまったのも、やはり親に責任がある。楽しいことは他にいくらでもあるはずなのに、「マンガ」と「親の命」を天秤にかけるほど幸せに飢えているのだ。

 酒とタバコとギャンブルと暴力にまみれた家庭に、多様な幸せを求めるのは無理難題ではあるが。

 それでも、子供に色々な幸せを伝えられていないと、「マンガが最終回になったから死のう」という事態になる。

 普通の人には理解できないだろう。だが、これは冗談の話ではない。たったひとつの幸せがマンガだったら、そういう事が実際に起きてしまう事を覚えていてほしい。