自尊心が低いと宿題が終わらないだけで家出する:子供の自殺を止めるには(6)
家出のハードルを下げるのは自尊心の低さ
私は一度、3日ほど家出をしたことがある。家出の理由はこうだ。
「夏休みの宿題が終わらなかったから」
中学一年生の時であった。小学生の時とは比べ物にならないほど、量が多い夏休みの宿題をやりきれなかった私は夏休み明けの新学期早々に家出をした。
健全な家庭で育った人は、たかだかそんな事で家出することを不思議に思うだろう。
だが、私は怖かった。
ただ、怖かったのだ。
おそらく小学5年生の時のトラウマが大きく影響していると思う。
その小学5年生の時も、夏休みの図工の宿題が終わらず、新学期に提出できなかったのだが、担任の男性教師は放課後に他の生徒を帰した後、私だけを残した教室で、宿題が終わらなかったことを責めたのだ。
教師は怒鳴りはしないのだが、静かに淡々と小学5年生の私を叱った。
――宿題をわざとやってこなかったのは、俺をバカにしているからだろうという意味合いを含んだ怒り方であった。
なぜ、宿題が出来なかったのか。その本当の理由は、図工の作品を作るためのアイディアが浮かばなかったことにある。教師をバカにしようなどという意図は全くなかった。
だが、私は他人に自分の考えを伝えるための勇気を持ち合わせておらず、そうやって的外れの責められ方をしても、ただ黙ってうつむくことしか出来ないでいた。
最終的に教師は、黙りこくる私の頬に平手打ちをした。
他人に両頬を叩かれた恐ろしい体験であったが、その時、私の家庭はすでに壊れており、親に「告げ口」するなどという事はしなかったし、できなかった。
その出来事がトラウマとなり、中学一年生の私は危機的状況に陥ったのだ。
小学生の時、たった一つの図工の宿題が終わらないだけで、往復ビンタをされたのだ。中学生にもなって、多くの宿題が終わらなかった私は酷く糾弾されるだろう。先生からも親からも叱責され、暴力を振るわれると、そう思った。
なにより、自分という人間が無価値であると証明されるのが怖かった。出来て当たり前のことが出来ない落伍者だと罵られるであろうことに耐えられなかったのだ。
だから、私は逃げた。現実から逃げるために、家からも逃げ出したのだ。
この家出はトラウマが発端ではあったが、根本の原因は「宿題が終わっていない私は無価値」だと信じて疑わないところにある。
自尊心が低い子供に育て上げると、宿題が終わらないだけで家出してしまうという実例である。
家出した子供の自殺リスク
家出した私は、家に戻りたくはないものの、行くべき場所も無かった。私の自宅は集合住宅だったのだが、基本的に私はその建物内に潜伏していた。
トイレは公園を利用し、飲み物は真夜中の自販機で、2リットルの炭酸ジュースを買い、また階段に戻っていった。
エレベーター横の階段に潜んでいたのだが、人の気配がしたら、階段を上ったり下りたりして、発見されないように行動していた。
その潜伏先の階段の壁に小窓のような穴が開いていたように思うのだが、自宅より高い階からなら、その穴から見下ろすように自宅前の状況が分かるので、こっそり様子を見たりしていた。
私が家出して2日目だっただろうか。学校の担任教師が自宅にやってきたのだが、家に入らずに玄関先で話しているので、声が反響して、ところどころ教師の言葉が耳に入った。
「家出……自殺……可能性……」そんな単語が聞こえた気がした。
空耳だったかもしれない。だが、私は強烈に「自殺」を意識し始めた。
――家に帰れないから、死なないといけない。
恐ろしく視野の狭い発想だと思う。だが、小学校を卒業して半年も経っていない上、精神的な意味で保護者不在なのだ。そんな安直な結論に至ったことを私はおかしいとは思わない。
結局、私は家出3日目にして発見され、連れ戻されたのだが……戻りたくはなかった。戻るくらいなら、死にたかった。
なぜ、私の両親はこんな子供を育ててしまったのか。
原因はただひとつ、子供の自尊心を育てられなかったことにあると私は考える。
自尊心は、親に愛されていると実感できる子供だけに与えられる最高のプレゼントだ。「家に帰るくらいなら死にたい」と願う子供に育てたくないのなら、どうか、子供を守ってやってほしい。褒めてやってほしい。ただ、それだけでいいのだから。