15歳で自殺する子供の育て方

私の育った家庭を反面教師にしてほしい。

外に放り出す躾は子供の自尊心を大幅に下げる:子供の自殺を止めるには(5)

子供を突き放して得られるものは無い

 私は幼い頃、父の怒りの矛先がこちらに向いたら、外で過ごすことを覚悟しなくてはならなかった。

 小学校に上がる前は、外に放り出されると玄関の前で泣いていたものだが、近所の人に心配された時に、騒ぎたてることをやめようと思った。憐れんでもらうことが恥ずかしかったのだ。

 だから小学生にもなると外に追い出されても、家に入れてもらおうという発想もなく、そのまま公園へ向かっていた。

 誰もいない暗い公園で、ブランコに座って空を見上げたら、月も星も見える綺麗な夜空であったが、ひどく虚しい心境であった。

 小学生女児が夜中の公園に一人でいる状況は、普通に考えておかしいし、何らかの犯罪に巻き込まれる可能性がある。けれども、あの家庭においては、外に放り出されるほうが安全であったのだとも思う。

 父から暴力を受ける可能性があるからだ。

 父は母に容赦なく暴力を振るっていたが、子供にはあまり手を上げなかった。全く暴力を振るわないわけではないし、言葉の暴力は酷いものだったが、多くの場合、父は子供を殴ることを我慢したのだろう。

 だが、頭に血が上った状態では、暴力を振るってしまう衝動に駆られるため、自分の視界に入らないよう子供を外に放り出していた。

 ――と、いうことだったのだろうと、大人になった私は理解している。

 そもそも父が外に出て、頭を冷やしてくるべきなのだが、ここではその事は横に置いておく。

 外に放りだされた小学生の私が、ひとり寂しく公園で数時間すごしていると、父の頭が冷えた頃に、母が迎えにきてくれていた。

 本来なら、ホッとした子供は安心感から泣いてしまうのだろうが、私はただ流されるまま「あの家庭」に戻っていくだけであり、嬉しくも悲しくもなかった。

 親に受け入れられなくて当たり前。これが私の所属する「家庭」だったのだ。

 外に放り出す「躾」の効果で、私は何か失敗したら誰にも許してもらえないことを学んだ。外に放り出された理由は些細なことだったはずだ。それにも関わらず、心には大きな爪跡を残し、自分は「大切ではない存在」と認識させられた。

 外に放り出すことは、果たして躾と言えるのだろうか。