9歳の子供でも自殺を考えるという現実:子供の自殺を止めるには(9)
私が飛び降り自殺を決行したのは15歳の時だったが、最初にそれをやろうとしたのは9歳の時だ。未来に希望が無いと悟って、生きているのがどうでも良くなったら、年端もいかない子供でも自殺を考えるのである。
――高いところから飛び降りると人は死ぬ。
9歳の時に、私はそれを知ってしまった。
朝、学校へ集団登校するために小学生たちが集まる集合場所。そこで、上級生同士の会話が耳に入ったのだ。
私が住んでいた集合住宅の隣の棟から、人が飛び降りたらしい。飛び降りたのは20歳くらいの男性で、10階から飛んだのだという。コンクリートに頭をぶつけて血だらけで死んだと上級生は話していた。
それを聞いた私は、背負っていたランドセルの肩ベルトを手で握って、こう思った。私の家は9階だから、ベランダから飛び降りれば死ねるだろう……。自殺の概念を知った瞬間だった。
自殺の知識を得てから、それほど時を待たない肌寒い夜風の吹く季節。9歳の私はベランダに椅子を持ってきて、それを足場にしてベランダの柵の上に腰かけていた。
このまま後ろに倒れ込めば死ねるだろうなと私は思った。
それから、こうも思った。大好きなマンガに筋肉隆々の強い敵キャラがいるのだが、そのキャラが落ちていく私を受け止めて、彼の世界に連れて行ってくれないかなと。
だが、そんなことはただの妄想。ありはしないと私は知っていた。だから、こう考え直した。死んで幽霊になったら、私の大好きなマンガを描いている先生のところに飛んでいけばいい。そうしたら、私は幸せな日々を過ごせるのだ。先生に迷惑はかけない。部屋の片隅でそっと先生の仕事を見ているだけでいい。
それはとても魅力的で、成功の可能性があるプランのように思えた。例え成功しなかったとしても、死の先には楽しい世界が待っているかもしれない。少なくとも、虚しい今を変えることは出来るに違いないのだ。
暴力的な父、破滅的な母、誰にも受け入れてもらえない私。楽しい事なんて一つもない世界。こんなのは全然いらないモノだ。
それでも、9階のベランダの柵の上で私は迷っていた。今、後ろに倒れ込むだけで、あとは自動で死の世界へ行ける。とても簡単で、誰でも出来ることなのに。
今着ている服は、母が10代後半に着ていたであろう秋のワンピース。私は背が足りないので裾が長いけれど、なんだかお姉さんっぽい感じがして良いよね。秋の夜風にスカートをなびかせながら落ちれば素敵だよね。
そんなことを考えている私の目に、部屋で遊ぶ弟の姿が映った。
弟を見て、深く何かを考えたわけではなかったが、私は少し悩んだ後、「やっぱ、やめた」と思ってベランダの柵から降りた。
私は弟を可愛がっていたわけじゃなく、小学生の頃はケンカばかりしていたけれど、9歳の私を自殺から救ったのは、紛れもなく3歳年下の弟だった。
そういうことが過去にあったから、10歳にも満たない一桁歳の子供が転落して亡くなる痛ましいニュースを見ると、私は過去の自分と重ねてしまうのだ。
それは単なる事故だったのだろうかと。
当時の私が、生きるほうに舵を切れたのは「父と母と私」を捨てることは出来ても、「弟」を捨てられなかったからだろう。もう少し正確に言うと、弟は捨てなくてもいい人間だった。子供の自殺を止めるには、積極的に捨てなくてもいい人間が一人は必要だということだ。